ななっちさんのゴースト、奏でる日常の音色の二次創作をさせていただきました。 ありがとうございます。 設定が違っていたり、想像や解釈が混ざっていたりするので、苦手な方はご注意ください。 なおこのSSは未完です。 ---------------------------------------------------------------------------- ○月○日 私がユーザさんを愛していると気がついたのはお店を開いてから一ヶ月が過ぎてからだった。以前、開店していなかった頃、ユーザさんが間違って来店したことが私たちの出会いだった。まだ不安だった私は、いざお客さんが来たときのためにしばらく練習相手になってほしいと頼んだ。その時点では、私がこんなにもユーザさんを好きになるとは思ってもいなかったのだった。 お店を開いてからは毎週ユーザさんが来てくれる。席は決まって窓際の椅子に。店内から街の風景がよく見える素敵な場所だ。開店前、私と一緒にスイーツを食べたのもその座席だった。そして、今日もまた。いつも通り、私は満面の笑みを浮かべて、ユーザさんの注文を取りに行く。ああ、幸せ。こんな日々がいつまでも続いたらいいのにな。 ○月×日 今週もユーザさんが来てくれた。ユーザさんは毎回同じものを頼む。だから、注文は聞かなくてもわかっている。私が淹れる紅茶と自慢の特製ショートケーキ。そのことはユーザさんにも言われた。「奏さんも忙しいだろうし、注文を聞きに来なくても大丈夫だよ」とそんな内容のことを。私を気遣ってくれているのはとても嬉しい。でも、私はユーザさんと少しでもお話したいから、毎回聞きに行くのだけどね。もう、ユーザさんは何もわかってないんだから。 でも、そんなところも大好きだよ。 ○月△日 私はいつもの席にいつもの注文を取りに行く。やっぱり今日も同じ。たまには色んなものを食べてもらいたいと思うけれど、私の作るケーキ以外は食べてほしくないなぁ……。ちょっとだけ複雑。そんなことを考えていたら、ユーザさんのお話を聞き逃しちゃった。慌ててもう一度聞いてみると、ユーザさんがプレゼントを持ってきてくれたみたい。ティーカップのセットだった。とてもオシャレなデザインが素敵。いつも美味しいケーキをご馳走になっているお礼なんだって。そんな、別にいいのに。でも、すごく嬉しかった。だって、他でもないユーザさんがくれたものだから。今夜は早速、もらったカップで紅茶を淹れてみた。なんだか昨日までの紅茶よりも美味しく感じる。飲み干した後もずっとカップを撫でている。後に残るほとぼりが、まるでユーザさんの体温のようで心地いい。これから自分で紅茶を淹れるときはこのカップにしようと思う。ユーザさん、本当にありがとう。大切に使わせてもらうからね。 ○月□日 今朝からお天気が悪かったけれど、ユーザさんは今日も来てくれた。ユーザさんは予報外れの雨に打たれて、全身びしょ濡れ。店の奥から持ってきたタオルで拭いてあげたら、笑顔でお礼を言ってくれた。胸がドキドキする。多分、顔も真っ赤になっていたと思う。動揺してうまく言葉を返せなかった。私、変な子に思われなかったかな……。それが気がかりで、注文を聞きに行ったときも、ケーキを運んだときも、会計のときもずっと緊張していた。でも、ユーザさんは特に変わった素振りをしなかったから、きっと大丈夫。それでもやっぱり心配だなぁ……。 ○月☆日 今週も天気が悪く、あいにくの曇り空。これじゃあ私の心もどんよりしちゃう。でも、窓辺に座るユーザさんを見ていると、それだけで気分もすっきり晴れてきて、まるでユーザさんは私にとって太陽のような人。ずっと見ていたいな。気がつけば、キッチンにいるときも、注文されたものを運んでいるときもユーザさんを目で追っていた。ふとこっちを向いたユーザさんと目が合う。ユーザさんは私に微笑んでくれた。どうすればいいのかわからなくて、思わず視線をそらしてしまう。心臓がはち切れるぐらいドキドキしていた。胸が苦しい。でも、気持ちいい。なんだか私、おかしくなっちゃったみたい。もう一度見てみるとユーザさんは窓の外を眺めていた。もっと、私を見てもらいたいな。 ×月○日 今日は久しぶりの青空。生クリームを切らしてしまったのでお買い物のついでにお出かけに行く。かわいい小物やお洋服を探してみた。ユーザさんはどんな人が好きなんだろう。やっぱりかわいい人かな。それとも、オシャレな人かな。色々考えて何度も試着してみたけれど、どれもいまいちピンと来ない。どうしたらいいんだろう。ユーザさんに好きになってもらえるぐらい、私もかわいくなりたい。 ×月×日 夕食の材料の買い出しに街まで行った帰り道でユーザさんを見かけた。偶然でも会えたことが嬉しくて、話しかけたかったけど、思わず足が止まった。ユーザさんの隣を私の知らない女性が歩いていた。誰だろう。まさか彼女だったりしないよね。手を繋ぐとか、恋人らしいことはしていなかったから。きっと道を聞かれてユーザさんが案内していただけだ。でも、二人とも楽しそうで、ユーザさんも笑顔で話していた……。今度、ユーザさんがお店に来たら聞いてみようと思う。お願い。どうか、私の不安が杞憂に終わりますように。 ×月△日 普段より少し遅かったけれど、ユーザさんはお店に来てくれた。注文を取りに行ったとき、あの女性のことについて聞いてみた。ユーザさんは少し照れくさそうに話してくれた。……現実はスイーツみたいに甘くはないんだ。その日の夜はずっと泣いていて眠れなかった。 ×月□日 今日はお店がお休みでよかった。昨日の夜は、ずっと泣きはらしていたから、涙とくまで顔はぐちゃぐちゃ。こんな顔、ユーザさんに見せられないもん……。普段はユーザさんが座っている場所と向かい合わせの席で、私は一日中考えていた。どうして、ユーザさんは私を好きになってくれなかったんだろう。私、そんなに魅力なかったかな? どうしたら、私を好きになってくれるかな? どれだけ考えても答えは見つからない。気がついたらとっくに夜になっていた。食欲はなかったから、お菓子だけ食べた。大好物のレアチーズケーキのはずなのに、全然美味しくない。目の前にユーザさんがいないだけでこんなにも悲しくなるなんて思ってもいなかった。あの日のことを思えば思うほど、涙があふれてとまらなくなる。ユーザとお話したい。ユーザの笑顔が見たい。ユーザに一目でいいから会いたい、会いたいよぉ……。 ×月☆日 どうやら、昨日は泣き疲れていつの間にか寝てしまっていたみたい。目元にできたくまも少しはよくなっていた。相変わらず気分は晴れないけれど、お店の準備を始めた。もしかしたらユーザさんが来てくれるかもしれない。そう思うとまだ頑張れる気がした。 お昼も過ぎた頃、ユーザさんは来てくれた。でも、例の女性と一緒だった。ユーザさんはいつもの席に座る。もちろん、あの人も反対側の席に座った。以前までは私が座っていた席に、今はあの人が座っている。……どうして、私じゃなかったんだろう。悔しくて、辛くて、悲しくて、また涙が出そうになる。反対に二人は楽しそうに話している。嫌だ、私の場所を返して、返してよ……。 △月○日 今週もユーザさんは来てくれた。やっぱり、あの人も一緒だったけれど。ユーザさんの注文はいつもと同じ、私の自慢の特製ショートケーキ。ユーザさんは私の作るケーキが美味しいと、彼女にオススメしていた。そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、私はユーザさんのためだけにあのケーキを作ったんだよ。 △月×日 いつもの席に、今は二人分の注文を取りに行く。ユーザさんと話せるのは楽しみだ。でも、あの人と一緒にいるのを見なくちゃいけないのがとても辛い。私はどうしたらいいんだろう。好きな人の幸せを願うべき? それとも、こんなわがままな横恋慕でもいいの? わからないよ……。そんな風に考え事をしていたら、二人の注文を聞きそびれてしまった。前も似たようなことがあったのを思い出した。あれはユーザさんがプレゼントをくれた日だ。注文を聞いてからキッチンに戻る前に、なんとなく振り返ってユーザさんを見てみた。ユーザさんは彼女にプレゼントをあげていた。誕生日だったみたいで、彼女はプレゼントを貰って嬉しそうだった。……私は幸せそうな二人を見たくなくて、すぐに目をそらした。 △月△日 今日はお店もお休みなので、切らしてしまったお菓子の材料を買いに出かけた。あまり気は乗らなかったけれど、お洋服を探してみる。かわいいスカートがあったので試着して、姿見で自分を見た。店員さんは似合っていると言ってくれたけど、鏡の中の私は表情も暗くて、なんだか疲れているように見えた。これじゃあ、ユーザさんに嫌われちゃう……。もっと、かわいくならなくちゃ……。でも、かわいくなったとしても、ユーザさんは私を好きになってくれるの? もしも、振り向いてくれなかったら……? 嫌な考えばっかり頭に浮かぶ。私はその場に座り込んで、試着室の中でひとしきり泣いた。その後、結局私は何も買わずに店を出た。どれを着ても今の私には似合わない気がしたから。 帰り道、ユーザさんとその彼女を見かけた。どこに行くのかがどうしても気になって、二人に気づかれないように後を追ってしまった。どうやら、二人も帰る途中だったみたい。別れる前に何か話していたので、私は隠れながら様子を見ていた。しばらくすると、二人の距離が縮まった。二人は目を閉じて……。嫌、やめて……。そんなの、見たくないよ……。でも、なぜか目が放せない。そして、私は見てしまった。二人が唇を重ねているところを。涙がとめどなくあふれてくる。私はなにがなんだかわからなくなって、めちゃくちゃに走り出した。どの道を通って帰ったのかなんて覚えていない。私は自分の部屋に着くと、ベッドに倒れこんで、そのまま眠ってしまった。 △月□日 寝起きは最悪だった。外はどしゃぶりの大雨で、部屋の中は昼間なのに薄暗い。私は何もする気になれず、また死んだように眠りについた。次に目が覚めた頃にはすっかり夕方になっていた。私は仕方なく起きた。部屋の鏡で見た自分は昨日の服装のままで、顔も髪もぐちゃぐちゃで、酷い姿をしていた。でも、そんなことはもう気にもならなかった。のどが乾いていたので、紅茶を淹れて、そのままぼんやりと夜になるのを待っていた。思い出した頃にはとっくに冷めきっていた紅茶を手に取り、一気に飲み干した。私はふとそのカップを眺めた。あの日、ユーザさんがくれたものだ。冷たくなったティーカップを見ていると、また涙がこぼれてきた。初めは捨ててしまおうかと思った。何もかも忘れて楽になりたい。それでも、ユーザさんを思い出すと手が止まってしまう。私は、カップを胸に抱いて泣いた。忘れることなんてできない……。できないよ……。いやだなぁ、私はまだ未練があるみたい。ユーザさんもこんなに重い女の子なんてきっと嫌だよ。こんな私なんて好きになってもらえるわけがないよぉ……。もう、ユーザさんに好きになってもらえないなら、いっそ死んじゃおうか……。そこで、ある考えが頭をよぎった。……死ぬ? そうだ、死んでしまえば。あの女が死んでしまえば……。なんだ、こんな簡単な方法があったなんて。 △月☆日 一晩ぐっすりと寝て、少しだけ冷静になって昨日の日記を読み返してみる。……なんて醜いんだろう。そんなことをしたって、ユーザさんに好きになってもらえるはずがないのに。自分の浅ましさが嫌になる。こんな私を、好きになってほしい、なんて言えない。それでも、私はユーザさんが好き、大好き。ずっとユーザさんを見ていたい。ずっとユーザさんと一緒にいたい。でも、仮にそんなことをしても、結局ユーザさんと離ればなれになるのはわかっているじゃない。そう、あの人がいなくなったって、ユーザさんが私の手の届かないところにいるままじゃ意味がないんだ。何か、他にいいアイデアはないかな。 □月○日 久しぶりにお店を開けた気がする。そういえば、昨日と一昨日は何もしたくなくて、お知らせもなく休んでしまったんだった。ちゃんと張り紙に書いておかなくちゃ。ユーザさんはお昼頃にお店に来てくれた。やっぱりあの人と一緒だ。ユーザさんと手を握っている。……ユーザさんに、触らないでほしいな。二人が席に着くと、すぐに楽しそうに話し始めた。気に食わなかったので、すぐに注文を取りにいく。例の女性は耳にイヤリングをしていた。確か、以前見たときには別のものをつけていたから、きっとこの前ユーザさんがあげたものだろう。……妬ましい。できることならその耳ごと引きちぎってやりたいぐらいだ。もちろん、なんとか抑えた。そんなことよりもユーザさんと話すほうが大事だ。注文を聞かないと。 □月×日 今日は、ユーザさんが一人でお店に来た。しばらく待ってみるが、あの女性が来る様子はない。約束しているわけじゃないみたい。仕事が落ち着いたときを見計らって、ユーザさんに話しかける。二人きりで話すなんて何日ぶりだろう。そんなに長くはお話できなかったけれど、それでも私は幸せだった。こうやって、たまに二人で過ごすことができるなら…………。私はそう思いかけていた。でも、ユーザさんは言った。「そうそう、彼女が奏さんの作るケーキのレシピを知りたいって言ってるんだけど、よかったら教えてもらえないかな?」「私、仕事に戻らなくちゃ。ごめんね」私はユーザさんに泣いているのを気づかれないようにその場を離れた。 □月△月 あれからずっと考えているけど、やっぱりいいアイデアは浮かばない。なんとかしてユーザさんと一緒にいたいのに……。そんなことを考えていたら、お店のドアベルが鳴った。今週も二人はお店に来た。あの人は今日もユーザさんからもらったイヤリングをしていた。ユーザさんと出かけるときはつけているのかな。私だって、ユーザさんがくれたセットで一緒にお茶会したい。ずるい、なんであの人だけ……。ユーザさんが好きなのは、私だって同じなのに。いや、私のほうがユーザさんをずっとずっと愛しているんだから。ねえ、ユーザ。私の気持ちにも気づいて……、お願い……。 この日、彼女は手帳を私の店に置き忘れて帰った。夜になって中を確認してみる。あまり、ほめられたことではないけれど、あの二人がどれくらいの仲なのかが知りたかった。 ____×月○日     ずっと片思いだった人に、ついに告白しちゃった……。     ユーザさんが答えてくれるまでの時間がすごく長く感じた。     結果は……、まさかの成功! やった! やったぁ……。     嬉しくって涙が出てきて、ついユーザさんに抱きついちゃった。     ユーザさんはとっても優しく頭を撫でてくれた。     えへへ、これからはずっと一緒だよ、ユーザ。 ____×月×日     今日はユーザと初めてのデート!     色んなところに行って、たくさんお話しして、すごく楽しかった!     でも、恥ずかしくて、手を握れなかった……。もう、私のバカ〜……。     ユーザは照れ屋さんだから、次はもっと積極的にならないとね。     ガンバレ、私! ____×月□日     ユーザとの二回目のデートは大成功!     やっぱり恥ずかしかったけど、勇気を出してよかった。     手を握ったら、ユーザは優しく握り返してくれた。     ユーザの手は大きくて、暖かくて……。     もう、手を洗いたくないな……、なんちゃって。     でもそれぐらい嬉しかった! ____△月○日     今日はユーザがとってもかわいいカフェに連れて行ってくれた!     ケーキがすごく美味しい!     ユーザにあーんってしてあげた。     最初は断られたけど、お願いしたら恥ずかしそうに食べてくれた。     あーもう、ユーザってばかわいすぎー♪ ____△月×日     今日、ユーザに誕生日プレゼントをもらっちゃった!     前からほしかったイヤリングだった。     ちょっと高いのに、ガンバってくれたみたい。     その場で早速つけてみたら、似合ってるって言ってくれた!     嬉しい……。ユーザ、ありがとう。大事にするね! ____△月△日     とうとう、ユーザとキスしてしまった。     初めてのキスは、なんというか、とても甘くて、優しくて……。     思い出すだけでもなんだか胸が苦しくなる……。     次はもっと―――― 私は手帳を読むのをやめた。 気がつくと手帳はズタズタになっていて、手に包丁を握りしめていた。 □月□日 ユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザユーザ…………。 □月☆日 このままではいけない。ユーザさんが本当に私の手の届かないところに行ってしまう。そんなのは嫌。絶対に嫌。でも、今さら私に何ができるの? 正直に告白してしまう? それで少しでもユーザさんが迷ってくれるなら、私にも勝機はあると思うのだけれど。でもあの女性の手帳を見た限り、もうのんびりしている時間はなさそう。ただでさえ私はあの女に何倍も後れをとっているんだ。だからと言って本当にこの前の日記のようなことをしてしまうわけには…………。私はいらだちから机を叩いた。机は手帳を切り刻んだときに使った包丁で傷だらけになっている。その振動でかけてあった鍵が目の前に落ちてきた。地下室の鍵だ。このお店に元からあったもので、せっかくだからワインセラーとして使ってみようと思っていたのだが、あいにくただの物置きになっている。……地下室? ……これだ。これなら、まだうまくいくかも…………。 ☆月○日 今ではユーザさんは週に二回来る。一回は一人で、もう一回は彼女を連れて。今週はすでに一度は彼女と来ているから、そろそろ一人で来てくれる頃かな。そう思っていたら、やっぱりユーザさんが来てくれた。やるなら今日しかない。この日のために準備はしてきたし、考えておいたこともたくさんある。幸い、お客さんもユーザさんしかいないので、早いうちに行動してしまおう。…………こんなこと、本当はしたくないけれど。「それ」を背中に隠しながら、注文を取りに行くふりをしてユーザさんに近づく。「ユーザさん。ちょっと、ついてきてくれるかな?」私はそう言いながら、ユーザさんに包丁を突きつけた。ユーザさんは驚いた表情をする。何かを言いたそうだったけれど、黙らせて店の奥に誘導する。階段を下りて地下室に入るように言った。私はユーザさんを椅子に座らせる。ようやく、ユーザさんが喋る。「奏さん、なんで、こんな……」「…………お店、閉めてくるから。少しだけ待ってて」私はそう言って部屋に鍵をかけ、階段を登った。お客さんが来ていたので、嘘をついて帰ってもらった。お店のガラス戸にクローズドのプレートをかけ、カーテンを閉め、店じまいをする。私はすべての扉と窓に鍵をかけたことを確認してから地下室に戻った。 ユーザさんは不安そうな表情で私を待っていた。包丁は入り口の扉の前に置いておいた。もう必要ないから。私はユーザさんの向かいに座った。とうとう、やってしまったんだ。成功したからといって安心感はなかった。あるのは彼に嫌われるかもしれないという不安と、罪悪感だけ。ユーザさんも険しい表情をしていて、空気がとても重かった。「…………ごめんなさい。こんなこと、してしまって」ユーザさんは何も言ってくれなかった。私は構わず続けた。そして本当のことを話した。ずっと好きだったこと、ユーザさんが彼女といるのが辛かったこと、ユーザさんが彼女とキスしたのを見てしまったこと、ユーザさんとずっと一緒にいたいこと。何もかも、話した。 ユーザさんは初め、とても驚いた様子だった。いきなり脅されて、告白されたら、無理もないよね……。しばらく黙った後、ユーザさんは謝ってくれた。私の気持ちに気づかないで嫌な思いをさせてしまったこと、私の気持ちには答えられないこと。でも、別にいいんだ。嫌な思いをさせられたことも、私の気持ちに答えてくれなくても、ぜんぶ、もういいの。私は、あなたと一緒にいられるだけで、いいから……。だから、ずっとここにいて…………。ユーザさんは何も言ってくれない。代わりに、別のことを聞いた。「あいつは、あいつは無事なのか?」あの女のことを心配しているみたい。私は奥歯をかみしめる。こんな状況でもユーザさんに心配してもらえるあの女が妬ましかった。殺してやりたいぐらいに。それと同時に、やっぱり嫌われちゃったんだと思って、泣きそうになる。私は涙をぬぐって、その質問に答えた。「…………あの人には、何もしてないよ。心配なら、電話してみる?」ユーザさんはうなずいた。私はすぐに受話器を持ってくる。ユーザさんに渡す前に、電話するときの条件を出した。 一つ目、電話の邪魔はしないけれど、助けを呼ばないかどうか、私が見ていること。 二つ目、彼女に感づかれないように自然に話すこと。 三つ目、「しばらく会えないが、いつか必ず戻るから、待っていてほしい」という内容のことを彼女に伝えること。 一つ目は地下室に閉じ込める理由としてはごく当たり前だと思う。二つ目も、彼女に悟らせないため。もちろん、私も脅したりはしない。逆にユーザさんを緊張させてしまうかもしれないから。三つ目は……、本音を言うと、すぐにでも別れさせたい。でも急にそんなことをユーザさんが言えば、彼女が不自然に思うかもしれない。それに、悔しいけれどユーザさんは今もあの女のことが好きなんだ。だから、自分の気持ちに嘘をつかせるよりも、こうしたほうが自然に話せると思ったから。何より、あの女がユーザさんを本当に愛していることは私も知っている。好きな人に「待っていてくれ」と言われたら、あの女は必ず待つと思う。きっと、何日でも、何年でも。…………私だって女だもん。それぐらい、わかるよ。 ユーザさんが電話を切った。ずっと会話を聞いていたけれど、ユーザさんは自然に話すことができていたと思う。嘘を言う必要もないのだし、脅されてもいない。それに、彼女が無事だったから、ユーザさんも落ち着いて話せたんだね。…………やっぱり、何もしなくて正解だったみたい。今もあの女が嫌いなことには変わりはないけれど、ユーザさんを安心させるためには便利かもしれない。これからは、私はあの女に変に関わらないようにしようと思う。 ユーザさんは黙っている。私は何も言えなかった。重い沈黙が続く。最初に喋ったのはユーザさんだった。ちょっとだけためらったが、ユーザさんは話してくれた。彼女に何もしないなら、しばらくならここにいてもいい、ということ。嬉しくて、涙がこぼれた。ぬぐってもぬぐっても涙があふれてとまらない。泣きじゃくる私に、ユーザさんは何も言ってくれなかったけれど。また、ユーザさんと一緒にいられる。たったそれだけのことが、今はとても嬉しかった。 ☆月×日 ユーザさんを地下室に閉じ込めた次の日、作ったばかりの朝食をユーザさんに持っていくために階段を下りる。ドアの前で私は立ち止った。もし、ユーザさんがいなくなっていたら。昨日のことは全部、私が見た都合のいい夢で、ユーザさんはまだあの女と一緒にいるとしたら……。私は不安と恐怖で立ちくらみをした。そんなこと、あるもんか。私は悪い想像を消し去るように首を振った。大丈夫、ユーザさんはきっと、中にいる……。私はそう信じて、ドアを叩いた。返事はない。さっきの不安が戻ってくる。落ち着いて、まだノックをしただけだ。ユーザさんは寝ていてノックの音に気づかなかっただけだ……。震える手を抑え、私は静かにドアを開く。部屋の中をぐるりと見回す。ユーザさんは――――暗い表情をしていたが――――ベッドの上で、膝を抱えて座っていた。「よかった……」私はほっとして小さく呟いた。「おはよう。ユーザさん、お腹空いてるよね。朝ごはん、作ってきたよ。一緒に食べよう?」でも、ユーザさんは答えてくれない。ユーザさんは私の姿を確認すると、すぐに目をそらし、ぼんやり虚空を見つめていた。明らかに避けられているのがわかった。でも、ユーザさんと一緒にいるという事実の前では、そんなことは些細な問題だった。「いらないの?」反応はない。「……私、先に食べるね」もしかしたら、においにつられて反応してくれるかもしれないと楽観的に考えていた。結局、そんなことは一度もなく、私は独り静かな朝食を終えた。 今日はお店もお休みなので、一日中ユーザさんと地下室にいることにした。ユーザさんとお話ししたいことはいっぱいあったけど、全然反応してくれないので、私から一方的に声をかけるだけだった。それでも、ユーザさんの存在だけで私は満たされていた。「ねえ、ユーザさん。私ね、ティータイムするときはいつも、この前もらったセットを使ってるんだよ。同じ紅茶のはずなのに、ユーザさんがくれたカップで飲むとすごく美味しいんだ。不思議だよね」「ユーザさん、今度は以前みたいに私と一緒にティータイムしようよ。新しいお茶を買ったんだ。二人で飲んだらきっとおいしいよ」「あ、いつものケーキ食べる? 食べたくなったらいつでも言ってね。私、ユーザさんのために腕によりをかけて作るからね」「私ね、ユーザさんがいないときはすごく不安になるんだ。のどもカラカラになって、ほとんどごはんも食べられなくて。怖くて寂しくて、押しつぶされてしまいそう。でも、今はユーザさんがいてくれるから大丈夫。ユーザさんがいると私、元気になれるの。ユーザさんのためならなんだってできる。ユーザさん、大好きだよ。……えへへ」そんな赤裸々な言葉を一方的に言っていても、会話は弾まない。やがて、話題もなくなってきたので、私はユーザさんを見つめながら物思いにふけることにした。 どうしてユーザさんは昨日「しばらくならここにいてもいい」と言ったんだろう。ユーザさんは一体どんな気持ちでそう思ったんだろう。やっぱり、気づかなかったとはいえ、こんなことになるまで私に嫌な思いをさせていたことに対する罪悪感だろうか? あり得る、と思う。特に昨日はそのことを気にしていたようだから。ううん、自分を悔やんでの自暴自棄ということもあるかな。他にも打算的な理由があってもおかしくない……。ユーザさん、たまに仕事のことでぼやいてたから。あ、「身の危険がせまっているわけではない」ということはあるかも。何より、彼女が無事だと知って安堵したのは大きいはず。落ち着いて考えることができたから、ユーザさんを監禁した私に対しても、ある程度の配慮ができた……といったところか。じゃあ、私に反応させるには、まず冷静にさせたほうがいい? 確証はないけれど、ユーザさんの今の気持ちを知るために、試してみようか……。 私は頬杖をつくのをやめて「ユーザさん」と呼びかけてみる。返事はない。「……彼女に、電話してみる?」ピクリ、とユーザさんはわずかに動いて、私を見た。「…………いいのか?」「……本音を言えば、嫉妬しちゃうから嫌だけど。彼女のことが心配でしょ? それに、私はユーザさんの役に立ちたいの。だから、電話したいなら、いいよ。……私、我慢するから」そう言って、持ってきた受話器を差し出した。「もちろん、電話するときの条件は守ってもらうからね」「わかった。だから、早く……」「ちゃんと約束、ね?」私は小指を立てて言った。ユーザさんは少しためらったけど、同じように手を出して、私たちは小指と小指で結びつく。「指きりげんまん、嘘ついたら針千本飲ます。……約束だよ」私はユーザさんの目を見つめながら言った。約束した後、ユーザさんは改めて彼女に電話をする。その間、私はどきどきしながら、ユーザさんに触れた自分の小指を撫でていた。早く会話が終わらないかなぁ……。そう思いながらも、ユーザさんの言葉は一字一句聞き逃さなかった。三十分ぐらいで電話は終わった。特に問題はない。ごく普通に会話は進み、恋人らしい話の終わり方だった。ユーザさんは私に受話器を返すと、ベッドの上で横になった。目を片腕で隠しながら「今日はもう寝たい」と言った。時計を見ると、まだ夜もふけていなかった。私はもっと話したかったけれど、ユーザさんが眠いならしょうがない。これ以上、無理強いしたくないから、「わかった」とだけ返事をして、電気を消して地下室を出る。テーブルランプに照らされて眠るユーザさんを見つめながらドアを閉め、注意して鍵をかけた。今はこれだけでもいい。時間はまだたっぷりあるのだから……。 ☆月△日 今日は普段通りお店を開いた。変に休みが続くとお客さんに迷惑だろうし、私たちの生活費が稼げないのはこちらとしても困る。それに、そんな人がいるかどうかはわからないけれど、ユーザさんがこのお店にずっといることを感付かれないためでもある。ユーザさんと一日中一緒にいられないのは残念だけど、ユーザさんと暮らすための代償だと思えば安いもの。私はユーザさんがいるから頑張れるんだ。…………でも、いつもの席に座って紅茶を飲むユーザさんを見られないのは失敗だったかな。 お店を閉めて、片づけを全部済ませた私は地下室への階段を下りる。扉を開けて声をかけるが、やっぱりユーザさんは反応してくれない。私は、今日もベッドの上で膝を抱えているユーザさんの隣に座った。「ユーザさん、今日はお客さんがいっぱいお店に来て大変だったんだよ。いつもより注文も多かったしね。でも、こうやって一日の終わりにユーザさんとお話しできるから、また明日も頑張ろうって思えるんだ。……本当にごめんね。でも、ありがとう。私、本当にユーザさんのこと大好きだから」ユーザさんは黙ったままだ。「ねえねえ、ユーザさんはどんな感じの女の子が好きなの? やっぱり彼女さんみたいな子かな。確かあの人ショートヘアだったよね、私も髪を短くしたほうがいい?」「ユーザさんって服の好みとかある? きれい系? それともガーリッシュ系がいいかな?」「ユーザさん、のど乾いたね。一緒に紅茶飲もうよ。淹れてくるからちょっと待っててね」そう言い残して、私は一階のキッチンに向かった。戸棚から例のティーセットを取り出し、手際よく紅茶の準備をする。お茶請けは……、うん、ユーザさんが好きないつものお手製ケーキにしよう。少しでも食べてもらえたらいいんだけど、この数日間は食事もほとんどとっていないし。そういえば今朝のユーザさんもそうだった。私が地下室で朝食をとってる間、ユーザさんはずっと黙っていたけれど、そのうちお腹の音が聞こえてきて、「食べる?」って聞いたのに、ユーザさんは意地張っちゃって……そんなところも可愛かったんだけどね。写真撮っておけばよかったかも。私は地下室に戻ると早速ティータイムを始めた。二人きりでお茶会なんて、いつ以来だろう。以前の私たちの関係がとてもとても遠い過去のことのように思える。私たち二人だけのティータイム、これまでは何度もできることじゃなかったけど、これからはもう毎日だってできる。なんて幸せなんだろう。ちゃんとユーザさんも飲んでくれたら、もっと嬉しいんだけどなぁ……。私の考えを読み取ったかのようにユーザさんはゆっくりと立ち上がり、私の前の席に着いた。え? 惚れ薬とか入ってないかって? あはは、ユーザさんは冗談がうまいんだね。そんな便利なものがあるなら、ユーザさんはとっくの昔に私のとりこだよ。それで納得したのかユーザさんはそっと紅茶を一口飲んだ。……さっきの言葉は嘘で、紅茶には本物の惚れ薬が入っているとか、そうだったらよかったのになぁ。 ☆月□日 ある晴れた日曜日の朝、ユーザさんは突然本を読みたいと言った。理由を聞くと、日中私がお店で働いている間は暇だから、らしい。そういえば地下室には娯楽になりそうなものは何一つ置いてなかった。だって、いつも私のことを考えていてもらいたいから。とは言ったものの、あまり徹底しても嫌がられるだろうから、一冊買ってくる約束をした。どんなジャンルがいいか聞くと、恋愛モノだそうだ。……この状況下でそれを選ぶなんて、どういう心境の変化なのかわからないけれど、短期間に二人の女性から告白を受けて、「愛」について考えてみたくなったとかかも。……まさかね。なんにせよ、これはチャンスだと思った。今の私たちと同じような恋愛をテーマにした小説を読ませれば、そこから私がユーザさんの心に入り込めるかもしれない、そう考えたから。でも、どうやって探したらいいんだろう。恋愛なんてありふれたジャンルの小説なんて、それこそ数えきれないほど……。そう考えながら本屋をうろうろしていると、ある本が目に留まった。「歪んだ愛情、果たして二人の運命は?」と帯に書かれている。普段ならそのまま見過ごしていたかもしれないけれど、なぜか今日は読んでみたい気持ちになった。その山から一冊を手に取り、ぱらぱらとページをめくる。最初はありきたりな恋愛小説だと思いながらほとんど読み飛ばしていたけれど、話が進むにつれてページをめくるまでの間隔が長くなっていく。そしていつしか全部読み終える頃には私の胸は激しく響いていた。だって、小説の中のヒロインは、同じ男性を愛した恋敵を、殺してしまう展開だったから。私はすぐに自分の日記を思い出した。あの時の私はきっと、この小説のヒロインと同じような気持ちを抱えていたんだ。これしかない。そう思ったとたん、私はもう購入を決めていた。ちなみに、こういうヒロインをヤンデレって言うみたい。相手のことを愛するあまり精神的に病んでしまうからヤンデレ。私は愛に健やかであるとか病んでいるとか関係ないと思うんだ。まあ、それは置いといて。とにかく、この本だったらうまくいくはず。小説の中では悲しい結果になって残念だったけど、私たちならこの二人の分まで幸せになれるよね? ☆月☆日 今日も店じまいを終えた後すぐにユーザさんのいる地下室に降りる。ユーザさんは昨日私が買ってきた例の小説を読んでいた。もう半分ほど読み終えたみたい。この部屋じゃ他にすることもないし当然かな。早速、本の効き目を試したいけれど、どうしたらいいかなぁ……。そういえば小説のヒロインが好きな人の肩に寄り添う場面があったっけ。うん、まずはそれでユーザさんの反応を確かめてみよう。私はベッドに近づき、ユーザさんの隣に座る。「ユーザさん、その本どう?」「おもしろかったら感想聞かせてほしいな」「次は二巻も買ってきたほうがいい? それとも他の本がいいかな?」ユーザさんは相づちを打つだけでそれ以上の反応はないけれど、これまでの無反応に比べたら上出来だね。私は頃合いを見ながらユーザさんに密着し、肩に自分の頭を乗せ、自分の体重を預けてみる。やっぱり反応はない。読むのに集中していて気づかないなんてことはないと思うけれど……。今はまだこんなものかもしれない。ちらっと読書の進み具合を見ると、ユーザさんの本をめくる手が止まっていた。そのページは偶然にもヒロインが今の私と同じことをしているシーンだった。今、ユーザさんはどんな気持ちなんだろう。私のことを考えてくれていたらいいな。あわよくばあの女から心移りしたらいいんだけど……。 ◇月○日 地下室に入ると、ユーザさんは私がこの前買ってきた本を読んでいた。同じ本を読むのもこれで三回目になる。実は「ユーザさんさえよければ新しいのも買ってくるよ」と提案したこともあるけど、なぜか断られてしまった。もしかしたら気を使ってくれているのかもしれない。遠慮なんてしなくていいのに……。そう思いながら私はユーザさんの隣に座る。ユーザさんがこの部屋に閉じ込められてからずいぶんと日が経ったけれど、私のことをどう思っているんだろう? 私、やっぱり嫌われてるのかな。まだ怒ってるのかなぁ……。でも、許してくれなんて言えないし……。だからといってユーザさんを失うのはもっと嫌だ。だから、私はユーザさんを地下室に閉じ込めることを選んだんでしょ? どんなに考えてもユーザさんに嫌われたくないというわがままな気持ちが堂々巡りするだけで具体的な解決策は見えてこない。自分で自分の気持ちを必要以上に追い込んでしまい、涙がこぼれそうになった瞬間、ユーザさんが喋り始めた。「奏さん……、その、紅茶飲みたい」「……うん、ちょっと待ってて!」私はユーザさんからの急な頼みにびっくりしたけど、地下室に閉じ込めてから初めて向けられた好意的なお願いだったから。目元に浮かんだ涙をぬぐい、私はすぐに立ち上がって部屋を出た。 ◇月×日 今日はユーザさんとずっと地下室でお話しをして過ごした。ユーザさんはほとんど喋らなくて、私が一方的に愛してると言ったり、何気ない雑談をしただけだったけど、よく「うん、うん」と笑顔で相づちを打ってくれるようになった。それだけでも私の気持ちは晴れやかになる。やっぱり、私にはユーザさんしかいないみたい。きっと、ユーザさんが間違って来店した、あの最初の出会いも運命だったんだと思う。私たち二人の運命を守るためなら、なんだってやってやる。そんな自分の決心を改めて感じた一日だった。 その日の夜、ユーザさんが寝静まった頃を見計らって、地下室に降りる。私はパジャマ姿のままユーザさんが寝ているベッドの傍に座った。シーツの上に肘をついて、ユーザさんの頬を撫でる。くすぐったそうに寝返りを打って、私のほうを向いた。目を閉じて、無防備なユーザさんの顔に私はドキッとする。唇に目が行く。「眠っている今なら、ユーザさんにもばれないだろう」と思い、私は顔を近づけてみる。ユーザさんの寝息が顔にかかった。自分の頬が熱くなるのを感じる。(どうしようかな。キス、しちゃおうかな……)私は目を閉じさらに顔を近づけた。そこでユーザさんの寝言が聞こえる。うぅ……と少し呻いた後、ユーザさんは、あの女の名前を呼んだ。そして謝った。一度だけではなく何度も、何度も。私は止まった。体の芯が急激に冷えていく。そっか、ユーザさんの心にはまだあの女が住み着いているんだね。……邪魔だなぁ。そう思った私はユーザさんの耳元でぼそぼそと話した。「その女はユーザさんのことなんて忘れてるよ。ユーザさんはもう嫌われちゃったんだよ。ユーザさんはその女に捨てられた、捨てられた、捨てられた、捨てられた、捨てられた。可哀想なユーザさん。一人ぼっちのユーザさん。でも、私は違うよ。私は、奏はユーザさんのことを今でも愛してるよ。これからもずっとずっと愛してる。あなたの味方は私だけ、私が守ってあげるから、そんな薄情な女のことなんて忘れていいんだよ。お願い、早く忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて…………」私の声が聞こえているかのように、ユーザさんは眠りながら静かに泣いていた。 ◇月△日 ユーザさんを地下室に入れてから一か月。昼はカフェのマスター、夜はユーザさんとの同棲という二重生活にもずいぶん慣れてきた。この秘密の生活を、お店に来てくれるお客さんが知ったらどんな顔をするだろう? 行きつけの喫茶店の店長が、裏では好きな人を監禁している。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだよね。そういえば今日、ユーザさんの『元』彼女がお店に来た。おそらく、ユーザさんに偶然会えるかもと考えてやって来たのかもしれない。万が一ということもあるし、私は至って平静を装って普通に接客した。そのとき見た彼女は憂いを帯びた表情を浮かべて、窓越しにどこか遠いところを眺めていた。ユーザさんに電話で「待っていてほしい」と言われたことが効いているのか、少なくとも表面上からはユーザさんを探しにきたような雰囲気は感じられない。きっとユーザさんにまた会える日を待っているんだろうけど……。まさか、思いを馳せているその相手が、今自分のいるお店の地下に閉じ込められているなんて夢にも思わないだろう。もし彼女がそれを知ったら……。「ユーザさんを返して!」と涙ながらに私に訴えかけてくる姿を想像する。ふふ、あなたなんかに返すわけがないじゃない。むしろ、希望を抱いて待っていられるだけ幸せじゃない? 知らないほうがいいことだってあるんだから……。 そこで、ふと私は思いついた。あまり褒められたことではないけれど。私は笑顔を作って、彼女のいる席に近づく。「ご注文はお決まりですか?」「あ、はい。特製ショートケーキとコーヒーを」私は彼女の注文を繰り返し、最後に確認してから、調理場に向かう。頼まれた通りのケーキとコーヒーを用意し、彼女の席に戻ってきた。「お待たせしました」「わあ、美味しそう。ありがとうございます」彼女はケーキを前に嬉しそうにしている。そこで私は今気づいたふりをして言ってやった――とてもきれいなイヤリングですね――彼女は笑顔を少し曇らせた。「実はこれ、彼氏がプレゼントしてくれたんです。ずっとほしかったものを私なんかのために買ってくれて。でも、最近は彼氏に会えてなくて、この一か月間は連絡も取れなくて…………」「そうだったんですか……。すいません、つらいことを思い出させちゃって」「いえ、大丈夫ですよ。今お仕事で大変みたいだから」「…………彼氏さんは、最後になんて?」「しばらくは忙しくて連絡もできなくなるけど、必ず帰るから待ってて、って言ってくれました」「とても優しい方なんですね」「はい。だから私も迷惑かけたくないし、我慢しなきゃ、って思ってるんですけど……。それでも、やっぱり寂しくて」彼女はそこで言いよどんだ。「早く、ユーザに会いたいなぁ……」と呟いて、遠い目をして窓から空を眺めていた。「きっと、すぐ帰ってきますよ。こんなにも素敵な恋人がいるんですから。彼氏さんが帰ってきたら、今度は二人でこのお店にいらしてくださいね」「ありがとうございます。なんだか、少しだけ元気が出てきました。あっ、これ、いただきますね」「はい、ごゆっくりどうぞ」と会話を終えた私は調理場に再び戻ってきた。ユーザさんに会いたい、だって。私は抑えきれず、つい、くすりと笑い声が漏れてしまう。もうユーザさんに会えるわけがないのに、彼女は今もユーザさんの言葉を真に受けて待っている。そんな彼女の姿がすごく滑稽でおかしかった。それから、私は彼女の様子を一目見て二度目の確信を得た。やはり彼女は本気でユーザさんを愛しているらしかった。プレゼントのイヤリングをつけていることもそうだし、服装が少し落ちついた感じだったから。女性が着る振袖ってあるけれど、昔はその長い袖を振って男性を自分に振り向かせるという恋愛のおまじないがあったんだって。結婚した後は、短くして留袖にする。もう、そんなことをする必要はなくなるから。それと同じような話で、彼女も他の男性に浮気したり、言い寄られたりしないように、服装を地味にして気を付けているんだと思う。まあ、なんにしても無駄な努力だと思うけどね、私は。……結局、世の中ずるい人が勝つんだよ。いい子に待ってたってダメ、すぐ誰かに盗られちゃうんだから。とにかく、昨晩のことも含めて、ずっと気に入らなかった彼女をいたぶってスッキリした。今日はぐっすり眠れそう。