世界観の共通事項 「廃墟の魔女」 ■「魔法」についての歴史 現代では、「魔法」についての知識や情報は複雑に絡み合い、混沌としている。 しかし、それは先史から古代にかけても同じだった。 何か不可解な現象が観測された場合、その原理については色々な憶測が飛び交う。 雷が落ちる、嵐が起こるなど、現代で見れば科学的に解明されることでも、当時の人々は違っていた。 中には、「魔法」が働いている、と結論付けた人もいた。 では、その「魔法」とは何なのか? どういう原理で、どうやって件の現象を起こしたのか? 他にも様々な疑問が浮上する。 それについて数多くの意見や思索が交錯するが、ついには絶対的な答えが導き出されることはなかった。 時は流れ、古代の哲学はようやく黎明期を迎える。 ミレトス学派の自然哲学において、自然や万物の根源「アルケー」を探る試みが始まった。 万物の根源を、「水」としたタレス、「数」としたピタゴラス、「火」としたヘラクレイトス。 リゾーマタ(土、水、火、空気の四大)としたエンペドクレス、ト・アペイロン(無限定者)としたアナクシマンドロス。 様々な哲学者が名を馳せ、数多の学説が競い合う。 しかし、それを提唱した当時から2000年以上もの長きに渡って忘れられていた学説。 デモクリトスが唱えた原子論の確立は、「魔法」の歴史において殊に重要である。 形而下の世界とそこに存在する物質を構成するものは原子であるという説に影響を受け、それに加え、 形而上の世界を構成する「アルケー」もまた、それにおける原子、即ち「魔力」であるとする説が創始される。 「魔力論」では、形而上の存在は「魔力」で構成されているとする。 「魔力」を操作し、世界に多様な変化や現象を起こす技術が「魔法」である。 「魔法」はその行使に体系的な方法が存在しない技術である。 「魔法」はその行使を可能にする条件さえも不明瞭な技術である。 「魔法学」では、「魔法」とその発展のため、存在しないはずの体系的な方法を研究し続ける。 「魔法学」に従事する者、あるいは「魔法」を行使する者を「魔術師」と呼ぶ。 いつ、どこで、誰が、「魔力論」を提唱し、「魔法学」を創始したのかは現代でも明らかになっていない。 「魔法」という技術は統一的ではなく、「魔法」の行使が可能な人間の条件も不明である。 それにも関わらず、行使が可能な人間の手によって、「魔法」は各地で運用されるに至った。 時が遷り、現代では「魔法」を行使する「魔術師」は皆無に等しい。 数十人なのか、数百人なのか、それともたったの数人なのか、具体的な数値さえも導き出されてはいない。 確実に言えることは、いかなる場合においても「魔法」を行使する「魔術師」の絶対値はゼロにはならないということである。 魔法を使える人間が限定的過ぎるが故に、かつて隆盛を極めた魔法の技術は粋を集めるまでもなく、やがて時と共に衰退の一途を辿ることになった。 現在では、数えるばかりの人間だけが魔法を使いながら静かに暮らしている。 今もどこかで、ひっそりと―――― ■原子 あくまでも現実の世界のことなので詳しい説明は不要。 原子は全ての物質を構成している。 原子は118種類ある。 そのうち、自然にあるものは約90番目まで。 以降は人工的なもの。 人間の生命は動的平衡にある。 眼前の人は昨日の人と同一人物、ミクロの視点では常に物質が変化しているが、マクロでは変化していない。 肉体の中で分子は常に入れ替わっている。 肉体は、そうした原子や分子の循環の一部分が淀んでいる状態と言える。 ○参考文献 『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』 ■魔力論 魔力とは、形而上の存在を構成する「アルケー」である。 魔力はそのままの状態では「延長」を有しないので、人間の五感で把握することはできない。 魔力は1種類だが、原子の118種類としても使える万能なものである。 人間によって、原子として形而下に存在を構成して初めて、魔力は「延長」を有する。 魔力は世界に満ち溢れており、一部は脈となって循環している。 魔力脈の循環中にある「淀み」が人間の精神、魂、思考、霊体を構成する。 言わば、人間の精神もまた魔力の動的平衡にある。 精神を構成する魔力は常に変化しているが、精神自体は同一人物のものである。 魔力の「淀み」は、神や精霊、妖精あるいは悪魔など、時に人間が思い描く超常の存在となって眼前に現れる。 その超常を最初に見た人間は、各地に残る神話や伝説を紡いだ。 それを伝え聞いた後世の人間が、それに従い、同じ神や霊を見る。 幻想の物語とは言の葉に舞う風に乗って、語り継がれてきたものである。 つまり、ある人が羽のある妖精を空想すると、魔力の「淀み」はその妖精の姿となって現れる。 妖精を観測したその人は言い伝えを残し、また後世の誰かが伝承に倣い、同じ存在を見ることになる。 体系的な方法が存在しない技術とてそれに同じ、誰かが作り出した魔法というものは、事実となって人に遍く行き渡る。 魔力を保存するために、「延長」を有する形に変える方法が挙げられる。 オリハルコンなどは魔力(あるいは魔力と原子の両方)から成る特殊な金属を指す。 金は単体(Au)の金属だが、それを魔力だけで構成することができる。 また、金から魔力を取り出すこともできる。 それ故に、黄金は魔法においてもその価値は大きい。 魔力の「淀み」は形而上に「世界」をも構成する。 便宜上、「世界」という言葉を使っているが、空間を占めているわけではない。 哲学で言うところの「延長」を持たないので、「魔力から成る世界」を五感で把握することができない。 ある意味では、巨大な魔力の「淀み」は「異世界」を構成しているとも言える。 「魔力から成る世界」は確定した姿をしておらず、いかようにでも変化する。 言い換えれば、統一されているわけではなく、民族や文化や宗教や思想の数だけ「魔力から成る世界」がある。 神や悪魔がいると考えている人にとっては、「魔力から成る世界」にそれらは存在し、時にそれらと干渉し合う。 信じない人にとっては、彼らの「魔力から成る世界」にそれらは存在し得ないので、同じように干渉し合うことができない。 アカシックレコードに書かれている森羅万象は、それを信じている人たちにとっての「世界」でしかない。 人間など、知性を持っているものは自身の肉体と精神の両方を認識できるので、原子から成る世界は当然、「魔力から成る世界」をも知覚し、干渉し合う場合がある。 例えば、神から啓示を受ける、幽霊が見える、悪魔に憑依される、魔法を使う。 人間の技術の産物も同じ、心霊写真や、グレムリンが機械を壊す、などがそうである。 原子から成る世界と「魔力から成る世界」は時に、相互に影響を与えることがある。 現実に起きる世界のオカルトや超常現象はそれが原因で起きたものもあり、言わば世界が行使した魔法である。 逆に「魔力から成る世界」に、現実の物体が迷い込むなどして、あちらでは「超常現象」として扱われることもある。 魔法は、魔力という点から世界にアプローチする。 魔力を操作し、世界に多様な変化や現象を起こす技術を指す。 魔法を行使することができる人間の条件は不明である。 さらに、それを行使するための、体系的な方法は存在しない。 魔法という技術も同じように、その人なりの方法で、その人が想定する「魔力から成る世界」と関わり合う。 ■魔法の原理 魔法は、魔力を操作して、それを使った人がいる世界に様々な変化や現象を起こす。 例えば、火(熱と光を出す現象)をおこす場合、二つの方法がある。 物質の燃焼(物質の急激な酸化)に伴う現象としての「火」をおこすのに、現実の化学に則った方法。 もう一つは、魔力を利用した魔法による方法。 魔力から構成された後、延長を有する物質となる。 その物質の燃焼が、魔法でおこす「火」である。 いずれにしても、炎がめらめらと燃えている状態が人間に見えるようになる。 魔法を使うための方法は数多くある。 呪文や呪術、死霊魔術(ネクロマンシー) 文字魔術、儀式魔術、錬金術、共感魔術 あるいは、妖術や霊能力 魔法を使う人物の背景にある民族、文化、宗教、思想などの数だけ方法がある。 実際にどうやって魔法を使うか? その人が使う魔法の仕組みはどうか? というのは使う人次第なので書ききれない。 例外は、宗教などで、魔法はこれこれこういうものだ、と定められている場合。 言わば、魔法についての、同じパラダイムを信奉している場合。 しかし、現代は思想が多様で同じ魔法を使う人はいない。魔法を使える人も少ない。 ■人間が動物に変身する魔法の場合 魔力から成る薬(液体)を飲む。 血脈と同じように、魔力脈が体内に存在するので、薬はそれに従って全身に行き渡る。 羽を生やす場合は、それが可能な人間の部位(腕や背中など)に魔力が到達する。 人間の部位を構成する原子に変化を加えたり、魔力で動物の部位を補ったりすることで、魔力から構成される羽を生やすことができる。 体の一部だけではなく、全身を動物に変えることも可能。 昔は、魔力から成る軟膏を体に塗り、その塗った部位が動物のそれに変化する、というのが一般的だった。 しかし、全身に塗るのは手間だった。 体内の魔力脈が発見されてからは飲み薬が主流になる。 魔力を体内に取り込むのに、飲むのが手っ取り早く、確実である。 一方では、液体を持ち運ぶよりも楽なので、場合によって軟膏の薬も重宝されている。 また、優れた魔法使いは薬を飲まなくても、同じように変身することができる。 変身を解除すると、動物の体を構成していた魔力は霧散し、魔力から成る世界や魔力脈、あるいはその人の精神を構成する魔力の総体に再吸収される。 ■召喚魔法の場合 民族、文化、宗教、思想の数だけ魔力から成る世界があるが、召喚魔法を使った人は、そこからその人の世界に、呼び出す対象を移動させる。 しかし、その対象が移動してきても、そのままではやり取りができないので、召喚者の魔法によって、魔力から成る肉体が仮に与えられる。 故に、例えば「妖精」を呼ぶとしても、一人はゴブリン、一人はピクシー、一人はドワーフというように姿形や名称も異なっている。 使う魔法や、人によっては呼び出すものが天使や悪魔であったり、妖怪であったりもする。 このことも、召喚魔法を使う人物の背景に由来する。 ■異世界について 人が思い描く「異世界」は全て、魔力から成る世界が再現する。 その人自身が存在すると思えば存在し、存在しないと思えば存在しない。それは全てが同時に。 召喚魔法とは逆に、異世界に移動する魔法は存在し得る。 しかし、それを目的にしている人なら、すぐさま異世界に移動してしまうと予想されるので、元の世界にその方法が残されているとは限らない。 逆に、異世界から移動してきた人が仮に存在したとしても、探すのは困難を極める。 また、縦しんば見つかったとしても、その人が口を割ることは到底期待できないだろう。 現代では、そのような魔法は不可能ではないと推測されるが、未発見の段階にある。 ■時間について 時間の操作に関わるあらゆることは魔法による手段を以てしても不可能である。 過去や未来への移動、過去の改変、未来の確定、時間の停止など。 仮に誰かが過去や未来へ移動する魔法を使ったとしても、その人が向かうのは魔力から成る世界で、その人が思考する内容を忠実に再現したもの。 それを異世界と呼ぶこともできるが、過去あるいは未来の世界ではないので、元の世界と因果関係にはない。 だからと言って、再現された世界が偽物であるというわけでもない。 従って、その世界を受け入れられるかどうかはその人次第でしかない。 ■生と死について 動的平衡の状態にあるのが生命だが、それが失われた時、生きとし生けるものは全て死を迎える。 死者を蘇生することは現代では不可能。 魔法でもそれは同じだが、不老不死になることは可能である。 動的平衡を魔力によって永久に保つのが不老不死の魔法の仕組み。 しかし、不老不死から普通の人間に戻る技術はまだ存在しない。 永遠に生きなくてはならないというのは一般的には苦悩だと思われるだろう。 故に、不老不死の魔法は禁忌でもあり、また不可能なこととして隠されてきた。 過去には不老不死になる手段を得た人物も存在したが、一度として使われることはなく、門外不出のまま闇に葬られてしまった。 もし不老不死になりたいのであれば、その方法を知っている人物を探し、教えを受けなくてはならない。 しかし、魔法を使える人物は現代では限りなく少ないので、ほぼ不可能。 不老不死になる方法は主に二つ。 エリクサーを飲む:全身が永久に魔力で構成される。肉体が部分的に失われたとしても、魔力がその箇所を回復する。 フェニックス(不死鳥の力を借りる)を召喚する:フィリア(廃墟の魔女)はこの方法で不老不死になった。 他にもいくつか手段はある。 ■その他メモ 魔法と呼ぶには学問的で、科学と呼ぶにはオカルトすぎる。ぐらいの立ち位置。 イメージとしては赤と青の立体視のような、原子と魔力の立体世界。 人間には物理的な世界しか見えていないが、延長を持たない世界も同時に広がっている。